失われた陸地 越後古代図 康平図にある島々の意味 新潟の地震を考える
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日本海東縁プレート境界の地震地学
Seismo-Tectonics on the Eastern Japan Sea Plate Boundary

新潟の地震を考える
My View about Seismicity around Niigata Region

失われた陸地 ―康平図にある島々の意味― Lost Land, The Meaning of the Islands in the Kohei Map
2012年8月1日掲載 2024年2月11日最終更新


  1.越後古代図に見る津波記録 

 新潟県地方には,康平図あるいは寛治図[以下康平図とする]と呼ばれる平安中期の越後国古地図があります.細部に差異のある多数の模写図があり,添え書きあるいは付記と呼ばれる地図余白の書き込みが表題の津波記録です.池田雨工(1925)の「越後古代史之研究」に紹介された例を引用します.

 「大津波アリテ西北榎島始メ孤島打壊シ泥砂乗足島ノ東南ノ入海ニ注ケリ是ヨリ大ニ国ノ形ヲ一変セリ」

 これは大津波によって日本海上にあった榎島その他の「孤島」が打ち壊されたことを記したものと考えられます.図1にある「粟穂」とは現在新潟県村上市沖約30kmにある粟島を指しています.「榎木島」はこの南西方(図の右方向)に描かれているので,内水面の陸地ではなく外水面の「孤島」と解釈されます.
 歴史時代においてそのようなことはあり得たのでしょうか.

 まず比較的信頼度の高い当時の中央政府の記録を見てみましょう.東北地方太平洋沿岸を襲った貞観十一年大地震大津波に関する史料に『三代実録』がありますが,この地方についても偶然ながら,同じ貞観年間の五年に見いだすことができます.

 「六月十七日,越中越後等地大震,陸谷易處,水泉涌出,壊民廬舎,壓死者衆」

 『三代実録』の貞観十一年の「陸奥国地大震」の記録は122字ですが,こちらはわずか30字です.津波についての記述はありません.それでも,池田雨工(1925)の言を借りれば「天下の大事として伝奏せられ,朝廷の記録に残さるるほどであるから其の程度が察せられる」でしょう.
 同じ地震によるものかどうか分かりませんが,大地震や大津波についての口碑・伝説は越後の各地にたくさん伝わっています.これについては越後の大津波伝説のページをご覧ください.

 2011年3月11日の大震災以前は,古記録中の記載や大津波伝説を「そんなことはあるはずがない」と一笑に付する傾向がありました.伝説などは被害記録から除外され,記録のないことが災害がなかったことのように扱われてきました.結果として,各種の被害想定が低めに見積もられ,特に原発震災ではその弊害が顕著に現れることとなったのは周知の通りです.

 この反省からこのページではあえて一歩踏み込むことにします.越後古代図・康平図について検証を進めるに際し,口碑・伝承を排除せずに,「そのようなこともあり得た」といえるのかどうかという観点に立ちます.防災対策上,最悪の状態を想定することが重要だと考えるからです.
 

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図1.康平図.池田雨工(1925)「越後古代史之研究」による.「原図(それも模写図か)」を池田が印刷・出版のために模写したもの.添え書きは写されていない.「原図」(池田の見た図)の添え書きは,作成した当時の伝承を書き加えたものと考えられる.
Figure 1. Kohei map. Based on Uko Ikeda (1925) "Research on the ancient history of Echigo." This is a copy of the "original drawing (or is it a copy?)" by Ikeda for printing and publication. The annotations are not copied. The annotations to the "Original Map" (Ikeda's view) are thought to have added information from the folklore of the time it was created.

図1−2 池田雨工
Figure 1-2.Ukou Ikeda


2.被害地震と日本海上の孤島

 北海道南部から東北地方・新潟県地方にかけての本土の沖合にある島は,いずれも被害地震の震源域に分布しています.北から列挙すると,

(1)奥尻島:1993年北海道南西沖地震(M7.8)
(2)渡島大島:1741年渡島大島の地震(M6.9)
(3)久六島:1983年日本海中部地震(M7.7)
(4)飛島:1833年庄内沖地震(M7.5),1804年象潟地震(M7.0)
(5)粟島:1964年新潟地震(M7.5),1833年庄内沖地震,1762年佐渡北方沖地震(M7.2)
などです.

 これらの島々の存在・分布位置は,日本海東縁変動帯における地震時・地震間の地殻変動や地質学的スケールの構造運動と密接な関係があるものと考えられます.偶然に島があるのではなく,被害地震が繰り返される場所だから島が形成される,あるいは形成された(が現在はない)ということです.さらに言い方を変えると,上にあげた地震より古い時代のものも含めて,これまで繰り返されてきた地震活動によって島々の消長はあったはずです.日本海東縁変動帯全域で,かつてはもっと多くの「孤島」が存在していた可能性があります.


3.海面の上下動による地形の変化

 図2は佐渡・新潟本土間の海底地形を示したものです.これによれば,柏崎市と新潟市の2方面から-200mの海底の高まりが佐渡島方向に延び,佐渡島からの-200mの高まりと数kmの距離で向かいあっていることが読み取れます.氷期・間氷期の氷床の消長による海面変動の研究から,最終氷期(ウルム氷期.今から約1万年前に終了)の最大海面低下は120m程度と考えられています.ですから,海面変化だけでも沖合に島が存在した可能性はあります.また,機械的に海面を120m下げた状態で海面下に相当する地域でも,過去の波浪浸食による欠損や地震時・非地震時の地殻変動による低下はあり得ますから,陸地(島,あるいは半島状の陸地)の存在した可能性は否定できません.


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図2.佐渡-越後間の 海底地形.国土地理院20万分の1地勢図をもとに作成.
Figure 2. Seafloor topography between Sado and Echigo. Created based on the Geospatial Information Authority of Japan's 1:200,000 topographic map



4.氷期の砂丘形成

 最終氷期(注1)の最大海面低下を120mとします.越後平野の地盤沈下速度は3.0mm/yearから10mm/year程度です.これが人為的なものでなく構造運動であるとして,最終氷期最盛期の3万年前から継続していれば下の値をとっても累積沈下量は90mとなります.これと海面変動を合わせると210mです.最大の値を取れば,120+300=420mです.このような相対的変動は海陸分布を一変させることでしょう.図3は現在の-200mの海底を海岸線としたときの様子を描いたものですが,実際はもっと陸地が増えていたかもしれません.

 氷期に陸化しても,温暖期に海が浸入し地盤が沈降すれば今と変わりません.しかし次のような場合は様子が違ってきます.後氷期に最大に海面が上がってもなお島や半島が残りうるのです.
・陸化した時点で砂丘が形成される.砂丘は乾燥する冬季に発達.氷期には巨大な砂丘列が形成されただろう.
・粟島を作っているような岩体が存在した場合.佐渡北東方の粟島は周囲より硬い玄武岩溶岩の差別侵食による残丘.このような岩体は新第三紀層中に局所的に分布する.
・現在の新潟市の沈降帯とは逆の隆起帯が存在した場合.東頸城丘陵の褶曲運動を敷衍すれば可能性が高い.

 氷期の砂丘は当然ながら,はるか沖合の旧汀線付近(図3の海岸線)に発達したでしょうから,幅が数km程度の海峡は砂堆で封鎖されることは十分に考えられます(図3のオレンジ色のハッチ).あるいは,もともと海底の地盤が繋がっていて,地盤変動や潮流で変化したのかもしれません(注2).図3−2に日本海の海底地滑り(推定)のようすをgoogle mapにより示します.また,砂丘が50m〜100m程度の高さに発達することは今日的にもありますし,現在の新潟市付近の沈降運動と同レベルの隆起運動が生じた地帯があれば,今の笹神丘陵程度の隆起帯が越後―佐渡間に存在していた可能性は否定できません(注3).現在あるがままの姿からだけでは過去の景観はわからないのです.

(注1)第四紀(約260万年前〜現在)の後半のいわゆる氷河時代(氷河期:glacial age)のうち,寒冷期を「氷期(glacial period)」,温暖期を「間氷期(interglacial period)」という.したがって,現在は氷河期の中にあり,約1万年前に終了した最後の氷期の後の,次にやってくる氷期の前の期間,つまり間氷期である.
(注2) 地理学・地質学の「正統的な」考え方では,現在の海深のみで,言い換えると現在見える事実のみで古地理図を考える.しかし,推論や仮説を排除したら.極端な話だが,地層がない時代は地球史が組み立てられないことになる.それで,この章では推論・仮説を大いに展開しようというわけである.陸地の侵食は波浪以外にも,海底地滑りが考えられる.
(注3) 今の平野中にも小規模な丘陵はつい最近まで存在していた.その一つが胎内市と村上市の境にあった韋駄天山である.JR羽越線平木田駅の東方約1km,羽越線に並行した丘陵で,胎内川と荒川の間の平野のどこからでも良く見えた.昭和34年発行の国土地理院の地形図では三角点の標高52.3mとある.古墳丘ではないか,という説もあったが,当時の地質図(日本鉱業,非公表)によると鮮新世(新第三紀後期)〜更新世(第四紀前期)の地層からなっていたので,人工的盛り土でないことは明らかである.残念ながら土砂採取により山は崩されてしまった.東隣の丘を残して現在はほぼ平坦となり往時の面影はない.なお,現在の三角点38.6mは東隣の低い丘に移設されたものである.

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図3 海面を-200mとしたときの海陸分布.柏崎沖と新潟沖の2カ所に海峡が残る.オレンジ色のハッチはそれを封鎖したであろう陸橋のようす.これまでの地質学の「常識」ではウルム氷期=最終氷期の海面低下時でも佐渡と本土は陸続きにならなかったとされていた.
Figure 3 Land and sea distribution when sea level is -200m. Straits remain in two places, off the coast of Kashiwazaki and off the coast of Niigata. The orange hatch looks like a sand bank that would have sealed it. Conventional geological " common sense " has held that Sado and the mainland were not connected by land even when the sea level fell during the Ulm Glacial period (the last glacial period).

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図3−2 能登半島東方沖の推定海底地滑り.google mapによる.富山湾から日本海盆まで伸びる富山深海長谷が途中のA地点で西側からの地滑りで途切れているのが確認できる.A地点は2024年能登地震の断層線上にあるが,この図の"変動地形"は.それ以前に形成されたものである.ここはたまたま海底谷地形がはっきりしていたので確認できる.同様の海底地滑りは他でも多く起こっているに違いない.野崎保ほか(2023)は、阿賀野川(B地点)によって運搬された沼沢火山の降下軽石の分布を調べて、約5000年前に新潟市の海岸部でこのような海底地滑りが発生しているとしている.
Figure 3-2 A suspected submarine landslide off the east coast of the Noto Peninsula. According to Google Maps, it can be seen that the Toyama Deep Sea Valley, which stretches from Toyama Bay to the Japan Basin, is interrupted by a landslide from the west at point A. Point A is on the fault line of the 2024 Noto earthquake, but the "tectonic topography" in this figure was formed before that. This point can be seen because the submarine valley topography happened to be clear. There must have been many other similar submarine landslides. Nozaki Tamotsu et al. (2023) investigated the distribution of pumice fall deposits from Numazawa Volcano, which were transported by the Agano River (point B), and concluded that such a submarine landslide occurred on the coast of Niigata City about 5,000 years ago.


文 献
野崎 保・新潟応用地質研究会平野地盤研究グループ,2023,令和 2~4 年度 新潟応用地質研究会グループ研究助成事業 成果報告 新潟県越後平野中央部地盤解析報告書
  

5.縄文海進のあとにも残った陸地

 これまでにも,康平図の海陸分布に興味を持つ研究者は多くいましたが,地質学の「常識」(先にあげたように,最大海面低下-120mを絶対的と考える傾向があること.地質学者は斉一説的な考え方をとる人が多く,大規模な地殻変動や侵食を想定しないこと)から否定されて後が続きませんでした.

 氷期に形成された砂丘の規模のみならず,氷期終了後の海進による侵食作用の規模は想像を超える大きなものであったにちがいありません.最終氷期終了後の縄文海進による海面上昇は現在の海面より数m高かったと考えられています.氷期に形成された越後-佐渡間の陸地は島々に分断されながら少しづつ失われていったことでしょう.

 そんな中でも逆戻りする時期がありました.今から2000年くらい前の弥生時代です.これについては地質学的な証拠が残っています.図4は新潟県村上市の瀬波温泉海岸の海岸の露頭です.波打ち際から水平距離10m,海面からの高さ2mの地点で800mほど連続する腐植泥層または泥炭層(C14年代測定値:1850year BP)が発見されました.このことは,この海岸部分は当時内陸ないし内水面の湿地帯で,汀線ははるか西方沖合にあったことを意味しています.このような地質学的な証拠は世界中から報告されていて,このときの海面低下は弥生海退と呼ばれています.この時代に陸地は再び増えたことになります.今から1000年前の康平図の時代(あるいは既に伝説になっていたものを記述したとすればそれより少し前の時代)まで,日本海にまだ半島状の陸地や島が残っていた可能性は十分にあるのです.

 日本書紀で知られる沼垂柵,岩船柵の遺跡は未だ発見されていません.「柵」は交通の要衝に設置されていたと考えられます.そして,当時の交通は山賊の出没していた山際ルートより海岸沿いルートの方が発達していたと言われています.たとえば岩船柵の場合,現在の瀬波海岸のさらに西方まで陸地が広がっていれば,そこが交通路になっていたと考えられます.沼垂柵の場合も,山際と海岸の間は一面の湖沼地帯で,たとえ部分的に集落はあっても連続する道は形成されませんでしたので,同様により西方(つまり現在は海中)に街道はあったものと推定されます.
 残念ながら,どちらの柵も日本海の海底に没しているのかもしれません.

 閑話休題

 
タイトル 図4. 村上市瀬波温泉海岸の含埋没樹泥炭層.波打ち際から10m,海抜1.5〜2mで約800m追跡できた.樹木のC14年代は1850±85y.B.P.(1950年を基準にして1850年前.誤差の範囲は±85年). 1982年,波浪侵食により砂丘の下から忽然と露出した.その後,再び砂丘砂に覆われ,さらに護岸工事でコンクリートに覆われて現在は観察できない.
Figure 4. Buried tree peat layer on Senami Onsen coast, Murakami City. We were able to track it for approximately 800m at a distance of 10m from the beach and 1.5-2m above sea level. The C14 age of the tree is 1850±85y. B.P. (1850 years ago based on 1950. Range of error is ±85 years). In 1982, it was suddenly exposed from beneath the dune due to wave erosion. After that, it was once again covered with dune sand and then covered with concrete due to bank protection work, so it is no longer observable.
 


6.あり得べき康平図の世界

 この地方では10mm/year程度の地殻変動は今日的にも起こっています(例えば,新潟空港周辺,新潟東工業港周辺.両地域とも現在-5〜-10mm/year程度の速さで沈下を続けている).現在のような排水設備のない時代に-10mm/yearの地盤変動が300年間続いたとすれば,累積沈下量は3mです.これは3mの高さの津波が入ってくるのとは違って,地盤が3m下がるのですから事態は深刻です.現在の海抜3m以下の領域に水を満たすだけでも大変な状態になります.たぶんそれだけでも「康平図の世界」は現出されます.ところがこれで驚いてはいけません.陸地だったところが3mの水で覆われると,水の重さは1平方メートルあたり3トンの重力を余分に受けますから,時間はかかりますが地盤は確実に沈降することになり,水はさらに侵入してきます.かつて越後平野の至る所にあった潟がそこそこの深さであったのはこういう仕組みがあったからなのです.反対に排水されて干上がると地盤は水の重みから解放されて幾分隆起します.かつての鎧潟,紫雲寺潟,福島潟,岩船潟の跡地で排水機のないところでも現在は立派な陸地になっている理由がお分かりいただけると思います.

 ある時期に内水面が大きく発達して現在の越後平野が縄文時代のときのような一大海湾になったり,反対に氷期にもどったように日本海上に半島が突き出ていたり,島々が浮かんでいたりする風景は,2000年前〜1000年前の時代でも十分にあり得たことです.前者は地盤の沈降と大津波があれば今でも現出し得ることです.また,後者の場合は1万年以前の氷期のなごりの地形,その後の海進による侵食にかろうじて耐え残った島々があり,それらを古代の人々が見ていて,その言い伝えが康平図などの形で残されたのかもしれません.永年変動や地震活動による緩慢なあるいは急激な地盤の沈降隆起,海面低下時の西方(現日本海)での砂丘の形成,海面上昇時の大規模な侵食作用など,土地の姿,景観,地形は私たちの「固定観念」を大きく超えて変化するもののようです.

 災害発生時に「こんなひどいことは今まで見たことも聞いたこともない」という土地の古老の感想を良く聞きます.地方では日記を残す習慣がありません.中世以降の「領主」の記録も土着のものは皆無です.近世の江戸期の各領主の記録さえ江戸屋敷のものがほとんどです.とくに地方においては,自然災害は私たちの想像をはるかに超えた形で現出されるのだということを肝に命じて,その対策はとられなければなりません.    


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  [著者]
 河内一男 
新潟薬科大学非常勤講師(地学担当)
KAWAUCHI Kazuo
Niigata University of Pharmacy and Medical and Applied Life Sciences ,Part-time Lecturer (Earth Science)

記事一覧
・トップページ 日本海東縁のプレート境界
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・活断層とは ―重要なところは隠れている―
What is an active fault? -Important parts are hidden-[16.8.11]

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・液状化について
About liquefaction

・沖積平野下の埋没樹は越後大津波の遺物か
Is the buried tree under the alluvial plain a relic of the Echigo tsunami?[23.9.16]


********* 以下は番外編 *********

・海風と陸風
Sea wind and land wind[19.1.3掲載]

・海陸風と災害
Land and sea winds and disasters[19.1.3掲載]

・海陸風と原発災害の放射線汚染帯
Land and sea winds and radioactive contamination zone from the nuclear power plant disaster[19.1.3掲載]

・どんなときに里雪になるのか
When does it become Satoyuki?[18.1.25掲載]

・これまでの主な論文・最近の学会発表要旨
Main papers and summaries of recent conference presentations

・著者プロフィール、地震地学以外の話題(トップページ)
Author profile, topics other than earthquake geology (top page)