歴史地震の活動履歴から地震発生の長期予測を試みる.
〔このページの目次〕
§1. M7未満の地震にも注目すると見えてくることがある
§2. 歴史被害地震の時空間分布
§3. 信濃川河口北方沖での繰り返し
§4. 越後平野での繰り返し
§5. 長岡市付近での繰り返し
§6. 高田平野での繰り返し
§7. 遠地間の地震の連動性
§8. まとめ,そして最悪のシナリオをあえて
[文 献]
§1.M7未満の地震にも注目すると見えてくることがある
日本列島規模で地震テクトニクスを論ずる場合,M7 未満の地震は除外されることが多いようです.それは,太平洋側のプレート境界で被害を伴わないM6−7の地震発生数が非常に多いためなのでしょう.しかし,日本海東縁でM7未満の被害地震を切り捨ててしまうと,新潟沖 から越後平野−長野盆地−松本盆地に至る地震活動帯が見えなくなり甚だ不都合です.また,日本海東縁の内陸延長部は越後平野,高田平野,長野盆地,松本盆地などの人口が比較的密集している地域であり,M6 クラスの地震でも直下型の大被害をもたらす可能性があるので,これが除外されるのは防災対策の面から見ても具合がよくありません.
本来はM6−7クラスが主体であるはずの内陸被害地震が,長期予測を論じるときになぜM7以上のものに限定されてしまうのでしょうか.
内陸地震のテクトニクスについての研究は活断層の研究成果をベースにしています.活断層地形は地震断層のずれの累積により形成されると考えられています.ずれの累積は露頭(地層が観察できる崖)や人工的に掘削したトレンチ(溝)で測定します.しかしここで問題があります.内陸の被害地震は大きいものでもM7以下のことがほとんどですが,M7以下の地震で地震断層(震源断層が地表に現れたもの)が生じることはまずありません.ですからトレンチ等で観察する断層のずれはM7以上の地震によることになります.勢い,地震断層を生じさせるであろうM7以上の,場合によってはM8程度の,内陸部としては「巨大地震」に相当する濃尾地震クラスの発生を予測することになります.そのような内陸部の巨大地震はめったに起きませんから,確率予測がとても小さな値になります.これは蛇足ですが,活断層が見つかっても「いますぐ危険なことはない」という評価がなされたりする場合もあります.M7未満では確率予測が不能だから除外されたのです.
日本海東縁の内陸部延長では,これまで地震断層が生じることは少ないM6−7程度の地震で大きな被害を受け続けてきました.このページでは,主に歴史被害地震の活動履歴をもとに,この地域で発生する地震が規模は小さいながらも数十年ないし二百年程度の間隔で繰り返してきたことを示します(注).そして,千年のオーダーで予測される巨大地震よりも,数十年のオーダーで発生が懸念されるM6−7程度の内陸地震の予測が重要であることを訴えます.
(注)地震の繰り返しのことを「地震サイクル」と呼ぶことがあります.
§2. 歴史被害地震の時空間分布
歴史被害地震を調べると,同じ地域(または東西にスライドした隣接地域)で同じくらいの地震が繰り返して発生していたことが分かります.このことは地震の長期的予知の有効な材料であると考えられています.新潟県およびその周辺ではいくつかの地域で繰り返しが確認されています.それらの地域に,説明の便宜上A〜Eなどと分類し,そこで起きた地震にA1などの記号を付しました.ただし佐渡地域では今のところ1802年の地震以外に知られていませんが,地形・地質学的に繰り返しがあったことが分かっていますので,この地震をC1としました. また,[ ]で括った地震は地域の区分が不確定であることを示しています.
A:庄内平野
A1 1780庄内 M6.5
A2 1804象潟,M7.0
A3 1894庄内,M7.0
B:粟島周辺
B1 1762佐渡沖 M7.2
B2 1833庄内沖 M7.5
B3 1964新潟 M7.5
C:佐渡島
[C1 1802佐渡小木 M6.5-7.0]
D:越後平野
D1 1670西蒲原(四万石) M6.8
D2 1828三条 M6.9
[D′3 2007中越沖 M6.8]
E:信越県境
E1 1666高田 M6.8
E2 1751高田 M7.2
E3 1847高田 M6.5
[E′4 2004中越 M6.8]
これらを発生年代順に示すと次のようです.歴史地震の規模Mは宇佐美(2003)によります.
E1 1666年高田地震 (M6.8)
D1 1670年寛文西蒲原(四万石)地震(M6.8)
E2 1751年高田地震 (M7.2)
B1 1762年宝暦佐渡北方沖地震(M7.0)
A1 1780年庄内地震 (M6.5)
[C1 1802年佐渡小木地震 (M6.5-7.0)]
A2 1804年象潟地震 (M7.0)
D2 1828年文政三条地震(M6.9)
B2 1833年天保庄内沖地震(M7.5)
E3 1847年高田地震 (M6.5)
B3 1964年 新潟地震(M7.5)
E′4 2004年中越地震 (M6.8)
D′3 2007年中越沖地震 (M6.8)
[参考]
越後平野内では,この他にも以下のM6未満の比較的小規模の被害地震が知られています.
(1) 1762年 宝暦三条付近の地震(M5.5−6)
(2) 1887年 明治長岡付近の地震(M5.7)
(3) 1927年 関原地震(M5.2)
(4) 1961年 長岡地震(M5.2)
(5) 1995年 新潟県北部の地震(M5.5)
図1にM6.5以上の被害地震の分布を示します.D1の1670年寛文西蒲原地震(M6.8)およびB1の1762年宝暦佐渡北方沖地震(M7.0)の震央はそれぞれ,河内・大木(1996),河内(2000)による修正に基づいています.図2はこれらの地震のうちM6.5以上のものについて,縦軸を南北の分布,横軸を発生順にとって模式的に時空間分布を示したものです.これから,この地域の被害地震の発生に連動性と繰り返し性を読みとることができます.
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図1.過去400年間,M>6.5の被害地震の分布.A1等の記号は本文参照.震源域を示す楕円の赤色は筆者が震源域を新たに決め直したもの.緑色は区域の分類が不確定のもの.
Figure 1. Distribution of damaging earthquakes with M > 6.5 over the past 400 years. For symbols such as A1, refer to the text. The red oval indicating the epicenter area is the author's new determination of the epicenter area. Green indicates areas whose classification is uncertain.
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図2.過去400年間,M>6.5の被害地震の時間−空間分布.A1等の記号は本文参照.記号の赤色は筆者が震源域を新たに決め直したもの.緑色は区域の分類が不確定のもの.
Figure 2. Time-spatial distribution of damaging earthquakes with M > 6.5 over the past 400 years. For symbols such as A1, refer to the text. The red symbol indicates the author's new determination of the epicenter area. Green indicates areas whose classification is uncertain.
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§3. 信濃川河口北方沖での繰り返し
信濃川河口沖合の粟島周辺で発生したB2-1833年天保庄内沖(M7.5)とB3-1964年新潟(M7.5)は図2-1で示したように震源域が半分ほど重なります.B1-1762年宝暦佐渡北方沖(M7.0)は,これまで小佐渡(並行する二列のうち南東部の山塊)東方沖とされていましたが,津波の被害を受けた漁村の位置の検討から大佐渡北東沖に修正しました. 時間間隔にしてB1とB2が71年,B2とB3が131年となります.この間隔は,太平洋側三陸沖のプレート境界地震とあまり変わりません.プレートの収束速度の違い(オホーツクプレートに対する太平洋プレートとアムールプレートの相対速度は,それぞれ7cm/y, 2cm/y)が双方で発生する地震の規模の違い(三陸沖のM8〜9程度に対して,当地方がM7〜8程度)に見合っていると考えれば妥当な繰り返し間隔と言えるでしょう. B1とB2の間隔が短いのは,B1が他の二つに比べMが7.0と幾分小振りだったせいかもしれません.
政府地震調査委員会(2003年発表)はこの地域の向こう500年以内のM7.5クラスの地震発生確率を0%としています.ところが,繰り返しの考えで長期予測をするとM7.5クラスの場合は21世紀末,M7クラスならば21世紀中頃,つまり間もなく起きても不思議ではないのです.この違いは何からくるのでしょう.政府地震調査委員会は地震の規模を大きめに見積もり,B2とB3の領域を別に考え,B1の地震は考慮していません.そして一つ前の活動は地質資料以外にないので,5000年とか10000年とかの数値を与えて「確率計算」したものでしょう.パラメータ(式の係数に当てはめる値)次第で計算値はいか様にもなるのです.こういうことは他の多くの場合にもあてはまります.
なお,この地域の信頼すべき史料による地震や津波の記録は今のところB1のものが最古です.しかし,記録のないことが地震のなかったことを意味するわけではありません.宝暦以来の250年間に3度も津波を伴う地震が繰り返されたのですから,それ以前もたびたび同程度の規模の地震が繰り返されていたでしょう.別ページにも示したように,この地域には津波についての口碑伝説の類が多く残っています.例えば「寛治六年戊辰大津波,地震.蒲原岩船陸地となる」です.蒲原・岩船は現在の新潟市から村上市,さらに山形県境にかけての地域で,これはB1,B2及びB3の震源域の対岸にあたります.
§4. 越後平野での繰り返し
河内・大木(1996)はそれまで,福島−新潟県境ないし越後平野東部が震央と考えられていた1670年越後の地震を越後平野中央部に修正しました.この地震の被害記録は当時の村上藩主榊原家の江戸屋敷日記にあり,村上藩領の「四万石」地方に見舞金が支給されたことが明確に記されています.この四万石地方は現在の新潟県旧西蒲原郡の中之口川左岸沿いの南北に細長い地域 (現在の新潟市南部,旧黒埼町,潟東村,中之口村,燕市)に相当します.また,新潟県旧新津市の被害記録を記した別史料に,「西南の間よりゆり出し」とあり,これは震央が旧新津市から見て南西方向(中之口川南部方面)であることを示唆しています.新発田藩史料は地震発生日を1年前の同日として取り違えていますが,「5月5日新発田大地震」としているのは,村上藩同様に江戸屋敷での記載と考えるべきで,この場合の「新発田」は当時の新発田藩領である中之口川右岸(旧白根市,見附市今町など)を指している可能性があります.
なお,この地震はこれまで西蒲原地震と呼んでいました.ところが,その後の市町村合併で「西蒲原郡」がこの地震の震源域ではない弥彦村のみになり,不都合がでてきました.それで,これからは四万石地震または西蒲原(四万石)地震と呼ぶことにします.
以上のことから,D1の1670年寛文西蒲原(四万石)地震(M6.8)はD2の1828年文政三条地震(M6.9)と震源域をほぼ同一とする地震であることは明らかです(図1).二つの地震の発生間隔は158年であり,現在(2012年)D2の地震からすでに184年を経過している事実は,地震の長期予測の上で注目されます. 問題は〔 〕で括ったD′3の2007年中越沖地震(M6.8)をこの地域の繰り返し地震と見るかどうかです.繰り返しとすればこの地域の歪みはある程度解消されたことになりますが,そうでなければ越後平野中央部はとても危険な状態にあるといえます.
§3のB地域とこの項(§4)のD地域の間に空白が認められます.これについては最後の§8(まとめ)の項で述べます.
§5. 長岡市付近での繰り返し
2.1の[参考]で示した(2),(3),(4)の地震はいずれも長岡市西方の信濃川流域ないし西岸(左岸)で発生した局発地震です.地震の規模Mは5−6と小振りですが,(2)と(3)が40年,(3)と(4)が34年と短い間隔で繰り返しています. (4)の1961年から現在(2012年)まで51年経過しています.ただし,ここはE′4の2004年新潟県中越地震(M6.8)で歪みが解放されたと見るかどうかで危険度の判断が分かれます.
§6. 高田平野での繰り返し
高田平野ではE1-1666 年寛文高田地震(M6.8),E2-1751年宝暦高田地震(M7.2),E3-1847年高田地震(M6.5)の記録があります.発生間隔はE1とE2が85年,E2とE3が96年です.いずれも江戸期の活動です.ところが,E3のあとは途絶えています.これは,E3の地震とほぼ同時期に南隣りの長野盆地で1847年善光寺地震(M7.4)が発生したことと関係があるのかもしれません.
また,§2の〔 〕で括ったE′4の2004年新潟県中越地震(M6.8)が高田平野の東方に位置しますので,繰り返し地震の可能性があります.そうすると歪みの一部は解放されたことになります.しかし,江戸期の活動履歴から考えて,今後も平野部での繰り返しはあるものと考えるべきでしょう.
§7. 遠地間の地震の連動性
離れた地域で,比較的短い間隔で被害地震が連続発生したケースがあります.これらは,一つの地震の発生が別地域の発生を誘発したもの(連動地震)と考えられます.
E1-1666年寛文高田(M6.8)とD1-1670年寛文西蒲原(M6.8)
E2-1751年宝暦高田(M7.2)とB1-1762年宝暦佐渡北方沖(M7.0)
C1-1802年小木(M6.5-7.0)とA2-1804年象潟(M7.2)
D2-1828年三条(M6.9)とB2-1833年庄内沖(M7.5)
これらの活動は,新潟‐神戸歪み集中帯の京都・畿内地方の1662年(M7.5),1802年(M6.8),1830年(M6.5)等と連動した可能性もあります.
§8. まとめ,そして最悪のシナリオをあえて
新潟県のみならず日本海東縁の被害地震の多くは平野部(あるいはその延長沖合や内湾,潟湖,盆地,河川流域の狭小な平地)を震源域としてきました.能代平野,八郎潟,秋田平野,本荘平野,庄内平野,越後平野,十日町盆地,高田平野,飯山付近の千曲川流域,長野盆地,松本盆地,福井盆地,若狭湾などです.柏崎平野での被害地震はこれまで知られていませんでしたが,2007年新潟県中越沖地震がまさに柏崎平野とその延長の海底を震源域とするものでした.
新潟県に限って言うならば,粟島周辺,越後平野,高田平野で地震サイクルが認められます.国土地理院のGPS観測
によれば,佐渡島と越後本土間で年あたり1cm程度の短縮運動が継続しています(信濃川地震帯と地形・地質).これは地震サイクルの原動力となった地殻変動は現在も継続していることを示しています.
[追記]このページのもとの原稿は2011年3月以前に作成したものです.2011年東日本太平洋沖地震により東日本のほとんどは東西方向に伸張しました.その後も余効変動(よこうへんどう)が続いています(図3).このことが今後の地震活動にどう影響するのかについてはまだ良く分かっていません.
図3.GPS測量による佐渡市鷲崎ー新発田市五十公野間の基線変化グラフ.2004年ー2011年の7年間で約8cm短縮した地塊が,2011年3月の地震で30cmほど伸張したことが読み取れる.その後の余効変動でさらに約12cm伸びたが,2013年3月現在,伸びは止まったように見える.今後,短縮に転ずるのかどうかが注目される.[グラフは国土地理院ホームページ・基準点測地観測データ・長期の地殻変動情報による]
Figure 3. Baseline change graph between Washizaki, Sado City and Ijimino, Shibata City, based on GPS survey. It can be seen that the earth mass, which had shortened by about 8 cm over the seven years from 2004 to 2011, expanded by about 30 cm due to the March 2011 earthquake. It grew by about 12 cm further due to aftereffect fluctuations, but as of March 2013, the growth appears to have stopped. It will be interesting to see whether the period will be shortened in the future. [Graphs are based on the Geospatial Information Authority of Japan website, reference point geodetic observation data, and long-term crustal deformation information]
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越後平野のうち長岡市から新潟市にかけての地域は,M7クラスの地震サイクルの次の活動期に入っていると考えられます.1670年西蒲原(四万石)地震の頃は集落は少なく震源域のほとんどは湖沼・湿地帯でした.まだ新潟湊ができていない頃のことです.1828年三条地震の震源域は少し南に移動しました.このときは南は長岡から北は燕市までが震度6弱〜震度7であったと推定されます.
現在,この地域は本州日本海側でもっとも人口の密集している地域です.発生すれば直下型地震になりますので,短い周期の上下・左右の激しい揺れに襲われます.田んぼの埋め立てで作られた住宅地や学校などの施設では深刻な液状化被害が発生するでしょう.また地盤が堅固で液状化が発生しにくい場所ほど短周期の上下動で建造物の座屈や飛びはねが生じる傾向があります.液状化が起きにくいからといって安心はできません.木造建築では液状化した場合には震動はゆっくりになるため倒壊を免れ,液状化しない土地では震動が上下左右に激しくなるため倒壊するという場合が少なくないのです.
§3,4で述べたB区域とD区域の両方にまたがる地震は過去400年間では知られていません.しかし,発生すれば新潟市付近を中心としたM8クラスの地震となります.2011年東北地方太平洋沖地震と異なり,震源域の直上は陸地でしかも人口密集地帯ですから,これまで経験したことのないような破局的災害になる可能性があります.震源域は信濃川河口北東方沖を含むので津波が発生します.津波は1964年新潟地震(M7.5),1833年庄内沖地震(M7.5)でさえ波高6mに達しました.これがM8クラスでは10〜20m規模になります.しかも震源が信濃川河口近くであれば発震後10分程度で新潟市,聖籠町を,20分程度で新発田市,胎内市,村上市の沿岸を襲来するでしょう.
B区域+D区域の地震発生は最悪のシナリオです.過去400年間はそういうことは一度も起こっていません.しかし,これからもそのような平和な時代が長く続く保証はないのです.別ページで紹介した
越後の大津波伝説は先人が実際に経験したことを子孫に伝え残そうとしたものに違いありません.
失われた陸地 ―康平図にある島々の意味―のページで推測した海陸の様子は,近い将来にもあり得る郷土国土の姿です.
厳しい予測を前にすると,「それではどんな備えをしても…」という無力感を生じる恐れがあります.ですが防災対策は財政に縛られることだけではありません.簡単にやれることもあるのです.例えば,イメージトレーニングが有効かもしれません.想像力をはたらかせることによって,私たちがすぐにでもやれることが見つかり,反対に決してやってはいけないことが分かってくるでしょう.そしてそういう小さなことの一つ一つが多くの命を救うことになるのだと思います.
[文 献]
地震調査研究推進本部地震調査委員会,2003,日本海東縁部の地震活動.
河内一男・大木靖衛,1996,1670 年西蒲原地震(M63/4)の震央の再検討,地震2,49,337-346.
河内一男,2000,宝暦佐渡沖地震(1762年,M7.0)の震央の再検討,歴史地震,16,107-112.
大木金平(1921):郷土史概論,(復刻版1999,新潟 日報事業社).
宇佐美龍夫,2003,最新版日本被害地震総覧,東京大学出版会,
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