日本海東縁プレート境界の地震地学
Seismo-Tectonics on the Eastern Japan Sea Plate Boundary

新潟の地震を考える
My View about Seismicity around Niigata Region

信濃川地震帯と地形・地質 Shinano River seismic zone and topography/geology
  2011年10月16日開始  2024年1月29日更新 

 このページでは,地形や地質の観点から日本海東縁変動帯・信濃川地震帯のテクトニクスを調べます.テクトニクスとは,地形や地質構造をつくるような大規模な地殻変動・造構運動のしくみ,という意味です.「信濃川地震帯」は,松本−長野−新潟を結ぶ帯状の地域に被害地震が集中することを見出した大森房吉が使った用語です.

On this page, we will investigate the tectonics of the eastern Japan Sea margin deformation zone and the Shinano River seismic zone from the viewpoint of topography and geology. Tectonics refers to the mechanism of large-scale crustal movements and tectonic movements that create topography and geological structures. "Shinano River Earthquake Zone" is a term used by Fusakichi Omori, who discovered that damaging earthquakes were concentrated in a belt-shaped area connecting Matsumoto, Nagano, and Niigata.

参考1:「大森の手紙」このページの末尾
1  平野周縁の変動地形

 図1.1は越後平野周縁部の活断層地形を東西断面の模式図で見たものです.横断する山脈・丘陵は西からa 角田・弥彦山地(長さ約15km,最高峰弥彦山634m),b 笹神丘陵(長さ約20km,最高峰真光寺山146m), c (五頭山地 長さ約20km,最高峰菱ヶ岳974m)です.

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図1.1 越後平野周辺の傾動地塊.西側が緩く,東側が急な非対称山塊は,西側が東側に突き上げる逆断層運動の蓄積によって形成されたと考えられる.

Figure 1.1 Tilting landmass around the Echigo Plain.The asymmetrical massif, which is gentle on the west side and steep on the east side, is thought to have been formed by the accumulation of reverse fault movements that thrust the west side toward the east.


 これらの山脈や丘陵は地質学で「新潟方向」と呼ばれている北東--南西方向に配列しているのが特徴で,褶曲軸などの地質構造もこの方向に一致しています.この西方にある佐渡島も同様で,大佐渡山脈(長さ約45km,最高峰金北山1172m),小佐渡丘陵(長さ約45km,最高峰大地山646m)の二つの配列が越後平野と併走しています.

 活断層(注1)は大佐渡山脈の西麓に小田断層,小佐渡丘陵の南部に羽茂川断層,笹神丘陵東麓に月岡断層などが知られていますが,山脈の構造を決定しているのはいずれも東麓に併走する伏在の西傾斜逆断層です.

(注1):活断層については 活断層とはのページに詳しい説明があります.


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図1.2 非対称山塊が逆断層で形成される概念図.逆断層の地表到達部は崖錐でおおわれ,東側斜面の地下深くに埋もれている.図1.1とは反対側から見た図.

Figure 1.2 Conceptual diagram of an asymmetrical mountain massif formed by reverse faults. The part of the reverse fault that reaches the surface is covered with talus and is buried deep underground on the eastern slope. View from the opposite side of Figure 1.1.

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図1.3 上:北側の新発田市方面から笹神丘陵(図1.1のb:右手の低い山)と左手奥の五頭山塊(同c)を望む.  下:旧新津市方面から南方の矢代田方面の新津丘陵(図1.1のd)を望む.図1.1とは反対の北側から見た図である.いずれも向かって右手の平野側に緩く傾斜している.この斜面はかつて水平であったものが,左手に突き上げるような運動を繰り返して形成されたと考えられている.

Figure 1.3 Top: View of the Sasagami Hills (b in Figure 1.1: low mountain on the right) and the Gozusan massif (c) on the left from the direction of Shibata City to the north. Bottom: View of the Niitsu hills (d in Figure 1.1) from the direction of former Niitsu City to the south towards Yashirota. This is a view from the north, opposite to Figure 1.1. Both slope gently towards the plain on the right. It is thought that this slope was once horizontal, but was formed by repeated movements that pushed it up to the left.

 西に傾斜する断層面に対して,西側の地塊が東側の地塊の上にのし上がるような断層運動を繰り返すと,やがて西斜面が緩く東斜面が急な東西に非対称な山稜が形成されます(図1.2).地図で見て稜線の位置が,中心から東側によっている(西側斜面が緩やかで長く,東側斜面が急で短い)のは,この逆断層地形の特徴を表しています.西斜面はもとの地表が傾いて隆起したものですが,東斜面は断層崖そのものといえます.ただし,オーバーハングした部分はくずれ落ちますから真の断層面は見えません.逆断層がつくった地形であることが確実とされる場合でも,実際の断層の露頭がどこにも見つからないことがあるのはこのためでしょう.図1.3は笹神丘陵(手前右側)と五頭山塊(左後方)を北方の新発田市から見たものです.この写真では右手が西つまり日本海側(越後平野側)になります.

 以上述べてきたように,越後平野周縁や佐渡島では構造地形からも西傾斜の逆断層が卓越していることがわかります.


2  応力場の一時的転換もあった


 構造地形から読みとれる応力の状態が,第四紀を通じてずっと同じ東西圧縮であったかというと必ずしもそうでなく,矛盾する例もあるのです.図2.1は前述の笹神丘陵と五頭山塊の間を横断する川の流路を示したものです.これらの川は五頭山塊にその源を発し,本来は並行して平野へ流れ出なければならないのですが,月岡断層を境にいずれも1kmから1.5kmほど南へ向きを転じてから笹神丘陵を先行河川として抜いて西方の平野へ出ています.これは左横ずれ断層による屈曲を想定させる有力な証拠です.

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図2.1 笹神丘陵と五頭山塊の間を北北東-南南西方向に20kmにわたって月岡断層が続く.断層線は国道290号線にほぼ一致する.五頭山塊から流れ下ってこの断層を横断する小河川は,いずれも左ずれ(断層を挟んだ向こう側が左手に移動)の変位を示している.

Figure 2.1 Tsukioka Fault continues for 20km in the NNE-SSW direction between the Sasagami Hills and the Gozu Mountains. The fault line almost coincides with National Route 290. All of the small rivers that flow down from the Gozu massif and cross this fault show leftward displacement (the other side of the fault moves to the left).

 ところで,月岡断層の走向はおよそ北北東ですから,左横ずれを生じさせるような応力は東西方向ではなく,どちらかというと南北方向でなければなりません.しかも,このような南北圧縮を想定させる地形的な左横ずれは,北の加治川断層,南の悠久山断層でも認められます.

 これについて筆者は次のような三段階の応力場の変化を考えています.
(1)第四紀(注2)初頭に日本海の拡大が停止しアムールプレートとオホーツクプレートが衝突する圧縮場に変わった段階で,北から櫛形山脈,五頭山,東山丘陵を隆起させた東西方向の圧縮応力が働いた.この時期にはそれぞれの山塊の東麓に並行する断層が動いた.
(2)その後,フィリピン海プレートの北方ないし北北東方向への押しがこの地域まで及んだ時期があって(現在のフィリピン海プレートの境界がどこまできていたのかは今のところわからない),応力場が南北方向に変化した.これによって(例えば五頭山の場合)五頭山塊と笹神丘陵との間に月岡断層を生じさせた左横ずれ運動が起きた。断層面は西に傾斜していて断層の上盤が東方へのしあげる逆断層運動もあわせて起こった.他に,加治川断層は櫛形山脈の,悠久山断層は東山丘陵のそれぞれ西麓に左横ずれ成分をもった逆向き低断層崖をつくった.
(3)やがて,フィリピン海プレートの北への押しはこの地域まで及ばなくなり,再びアムールプレートとオホーツクプレートが直接衝突する状態に戻り,東西圧縮の場に転じた.応力の変化とともに以前の断層の活動度は低下し,活動の中心は西方の平野部に移動した.

 このように考えると,歴史地震を含む被害地震が左横ずれ成分のある上述の活断層では起こっておらず平野の中央部や海域に集中している(1670年,1762年,1828年,1833年,1927年,1961年,1964年,1995年の地震)ことが合理的に説明できます.
(注2)第四紀:今から258万年前〜現在の地質時代 [2009年に関係国際学会で改定].


3  圧縮されて隆起する平野

 古い地質学の考え方では,越後平野を現在も堆積が進行中の地向斜であると見ていました.しかし,テクトニクスの変遷からするとどうもそうではないようです.そもそも新第三紀の地層が数百メートルから千メートルくらいの深海で堆積したのに対し,第四紀の魚沼層と呼ばれる地層の堆積物は浅海成から河川成に変わっています.このことは第四紀になってこの地域全体の沈降が停止したことを物語っています.羽越地向斜とか信越地向斜と呼ばれる第三紀の堆積盆が形成されたのは,新第三紀中新世中期(約1500万年前)に始まった日本海拡大によるものです.その堆積盆の形成が進行中は,角田・弥彦山塊や五頭山塊はその堆積盆の真っただ中にありました.つまり,新第三紀の地層が形成されていた頃は越後山脈以西全体が海であったのです.両山塊の間に堆積盆が形成されたのではありません.当時の堆積盆は長野県の一部から現在の日本海の一部を含み,越後平野の大きさとは比べものにならないくらい広大な領域だったのです.

 それが,現在は全く異なるテクトニクスの状態にあると考えられています.角田・弥彦山塊や五頭山塊は,この地域が日本海拡大による拡張テクトニクスから圧縮テクトニクスに転じた第四紀初頭(今から約260万年前)以降に逆断層運動による隆起で形成されたものです.沈降して平野がつくられたのではなく,東西両側の地塊と南方が隆起して形成された相対的な低地が越後平野です.地質学的な将来には,平野の中にもさらに別の逆断層地塊が次々と出現して行くでしょう.

 視線を越後平野から南の魚沼丘陵や東頸城丘陵に転じてみましょう.魚沼丘陵は五頭山塊などと同様に,東麓の西傾斜逆断層による傾動地塊です.東頸城丘陵は西北西--東南東方向から圧縮されて褶曲運動が進み,背斜軸部分が丘陵部に,向斜軸部分が西から鵜川,鯖石川,渋海川の谷になったものです.ここでは魚沼層群の最上部層も褶曲変形しているので,第四紀の後期(50万年前頃)には褶曲運動が始まっていたものと思われます.

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図3.1 ランドサットによる衛星写真(東海大学情報技術センターによる).柏崎市東方の三列の丘陵・東頸城丘陵が並行しながら屈曲しているようすがわかる.千曲川もこれらの屈曲と整合的に屈曲している.褶曲軸の屈曲はこの地方が東西方向から圧縮されていることを窺わせる.この三列の丘陵の褶曲構造は次節の図4.1参照.

Figure 3.1 Satellite photo taken by Landsat (by Tokai University Information Technology Center). You can see that the three rows of hills east of Kashiwazaki City, the Higashikubiki Hills, are parallel and curved. The Chikuma River also bends consistent with these bends. The bending of the fold axis suggests that this region was compressed from east to west. The fold structure of these three rows of hills is shown in Figure 4.1 in the next section.

 この褶曲地帯の丘陵部は,北方へ行くにつれ高度を減じ,やがて越後平野に没入するようにみえます(図3.1).しかし,この間は連続的に変化しており,構造運動の境界を示唆するような地形や地質的な特徴はありません.このことから筆者は,東頸城丘陵は越後平野の将来の姿を示しているのだと考えています.丘陵が北部で沈降しているのではなく,平野だった部分が頭をもたげて隆起し,背斜部は古くて堅い地層が露出しているので浸食量が小さく尾根(丘陵)に,向斜部は新しくて柔らかい地層が露出しているので浸食量が大きく谷になっているのです.東頸城丘陵の北方延長の平野部にも,何万年後かには同じようなかまぼこ形の丘陵が形成されていくものと思われます.

4  褶曲や断層からプレートの運動の速さを知る

 東頸城丘陵を東西の方向に切った地質断面図で見ると,褶曲の構造がよくわかります(図4.1).この褶曲の背斜部(上方に褶曲している部分)は尾根,向斜部(下方に褶曲している部分)は谷にほぼ一致しています.このことから,この褶曲構造をつくった運動は現在も続いていると考えられています(このような褶曲を活褶曲といいます).この地域が地滑り多発地帯であり,また中小規模の地震が頻発するのは,この褶曲運動と関係があるように見えます.

 褶曲変形している地層のうち,最も新しい魚沼層群の最上部層は今から100万年前から50万年くらい前に堆積したものです.断面図の鮮新世と更新世の境界を示す太線をいっぱいに伸ばすと現在の水平距離よりも約6km長くなります.言いかえると,この付近の地盤は過去50万年間に6km短縮しました.年あたり1.2cmの速度で短縮したことになります.褶曲の開始は50万年前以降のもう少し新しい時代かもしれませんから,この値は最低の見積もりです.このように大きな短縮速度をもった例は他にはあまり知られていません.この地域が極めて特異な変動帯であることは,この点だけでもおわかりいただけるでしょう.古典的な(1960年代の)プレートテクトニクスでは,プレートの収束する境界には海であれば海溝が,陸の場合は大山脈が存在しましたが,今日的にはこのような変動帯もプレート境界と呼ぶべきだと考えられています.

 プレートの短縮が褶曲構造に反映されているといっても,地殻深部まで褶曲変形がおよんでいるとは思えません.褶曲構造の深部はおそらく断層に移化しているものとみられます(図4.2).逆にいうと,地下深部の断層運動が地表近くで褶曲変形に変わっているのです.この断層運動はこの地域で多発している1990新潟県刈羽高柳地震(M5.5),1992新潟県津南上郷地震(M4.5)などの中小規模の地震活動と関係があるのかもしれませんし,あるいはクリープ運動(注3)が起こっている可能性もあります.東頸城丘陵は図4.2のAのような状態,その東方の魚沼丘陵や東山丘陵はAとBの中間のような状態と考えられます.

 断層地形からも,地殻の短縮の速さを見積もることができます.ただし,これは地震の繰り返しのしくみがわかっていることが前提です.越後平野では1670年と1828年にM7クラスの地震が繰り返されました(三条地震の一つ前の地震 ―「四万石地震」(西蒲原地震)―参照).約160年の間隔です.この繰り返しの間隔は,北方の粟島付近の繰り返し(1762,1833,1964年)に比べても決して短すぎません.それでもここは少し遠慮して,二百年に一回でM7クラスの地震を繰り返すと考えてみましょう.過去の例からしてこの程度の地震は地表近くでも0.5から1mくらいの断層変位をもたらすでしょう.ここでも少し遠慮して(下限をとって)0.5mの変位が,200年に一度の割合で起こるとすると,20万年間に500mの変位が累積されることになります.第四紀の260万年の間に,900mの五頭山が成長したり(単純計算で36万年),横ずれ断層で1000mも水平にずれたり(同40万年)する余裕は十分にあることになります.この場合の水平方向の短縮速度は,0.5m÷200年,1000m÷40万年の計算で,年あたり0.25cmという値が得られます.三角測量やGPSの測量によると,この付近は現在年あたり1〜2cmで短縮変形しているので,実際の変動はもっと活発だと考えられます.

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図4.1 東頸城丘陵(A-B間の三列の丘陵)の東西地質断面(津田ほか『土地分類基本調査図,表層地質図,岡野町』をリライト).背斜軸が丘陵,向斜軸が谷に概ね一致していることがわかる.図の凡例にある「更新統」とは第四紀更新世(260万年前から1万年前)に堆積した地層のことをいう.更新統下部層は260万年から80万年位,更新統上部層は80万年から50万年位前に堆積したと考えている.この図から,褶曲をもたらした地殻変動は更新統上部層が堆積したのち,およそ50万年前以降に生じたと考えられる.

Figure 4.1 East-west geological cross-section of Higashikubiki Hills (three rows of hills between A and B) (rewritten from Tsuda et al.'s "Basic Land Classification Survey Map, Surface Geological Map, Okano Town"). It can be seen that the anticline axis roughly corresponds to the hill and the synclinal axis corresponds to the valley. "Pleistocene" in the figure legend refers to strata deposited during the Pleistocene epoch of the Quaternary period (2.6 million years ago to 10,000 years ago). It is believed that the lower Pleistocene layer was deposited between 2.6 million and 800,000 years ago, and the upper Pleistocene layer was deposited between 800,000 and 500,000 years ago. From this figure, it is thought that the crustal deformation that caused the folding occurred approximately 500,000 years ago, after the upper Pleistocene layer was deposited.

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図4.2 活褶曲(A)および逆断層(B)の運動によって形成される丘陵の概念図.現在,活動の中心が平野部に移っていて,これらの丘陵部では大地震が発生していない.それにもかかわらずこれらの丘陵が成長を続けているとすれば,深部で少しずつ地塊の境界がずれる運動(クリープ:注3)が起きているのかもしれない.

Figure 4.2 Conceptual diagram of hills formed by the movement of active folds (A) and reverse faults (B). Currently, the center of activity has moved to the plains, and no major earthquakes have occurred in these hilly areas. If these hills continue to grow despite this, there may be a movement (creep: Note 3) in which the boundaries of the land mass gradually shift at depth.


5  短縮・衝突のテクトニクス

 これまで述べてきたような構造的な地形の配列は,日本海東縁変動帯の一部をなすものと考えられています.また,現在の地震活動は既知の活断層上では不活発で,むしろ平野中央部や褶曲地帯で活発です.既知の活断層は現在の活動ではなく,より古い時代の地震活動の名残を示しているものと思われます.

 この地域でみられる褶曲地形や断層地形は,西北西−東南東方向から圧縮される力を受け続けた結果です.圧縮応力によるひずみを,褶曲地形の場合は中小規模地震あるいはクリープ(注3)で,断層地形は大規模地震発生時の断層破壊で解消してきたものと考えられます.

 この地域で,二つのプレートが衝突することにより起きるプレートの短縮運動(プレートの消費,解消)の仕方には次の二つのタイプがあるようです.一つ目は,変動が激しくても大地震は起こさず,その代わり中小規模の地震を頻発する地域です.二つ目は,普段の活動は静かですが100年〜200年に一度くらいの頻度でM7クラスの被害地震を繰り返す地域です.新潟県の東頸城地方や長野県の水内・筑摩地方は前者であり,秋田・山形県の沿岸地域,越後平野,長野・松本盆地,そして北陸・中部地方は後者です.

 日本海東縁変動帯・信濃川地震帯はアムールプレート(ユーラシアプレート)とオホーツクプレート(北米プレート)の境界と考えられています.プレート境界の短縮運動が続く限り,この地域での現在のような地殻変動のパターンは変わらないものと思われます.


(注3)クリープ:断層面は普段は固着しています.地震時にそれまで貯まった歪みを一気に解消して滑るのが普通の断層運動です.ところが例外的に,常にずるずると滑っている断層もあります.このような断層運動をクリープと呼んでいます.


[参考1]

大森の手紙
 明治から大正期に東京大学地震学教室を主宰した大森房吉は,山形県沖から新潟県を縦断して長野県に至る線上に地震活動が集中することを見いだし,これを信濃川流域地震地帯と呼びました。地元に保存されていた越後三条地震(1828年)の資料を大森が閲覧したときの所見(手紙)が残っています。

 文政十一年ニ越後三条地震アリ,次ギテ北方ニ移リテ天保四年ノ庄内佐渡ノ地震トナリ,終ニ南方ニ及ビテ弘化四年ノ善光寺大地震トナレリ,何レモ極メテ激烈ナル破壊的地震ナルガ相関連セル現象ニシテ明ニ信濃川流域地震地帯ノ存在ヲ示スモノトス,抑々大地震ハ地震地帯ニ沿ヒ発生スルモ,同一地点ヨリ繰リ返シテ起コルコト無ケレバ,前時ノ大地震ヲ調査スルハ同一地震地帯ニ属スル大震将来ノ発生予測ニ関シ実ニ欠ク可カラザル所ナリトス,然ルニ三条地震ノ記録類ハ甚タ稀少ニシテ調査材料ヲ得難キヲ憾トセシガ,今回幸ニ入沢医学博士ノ好意ニヨリ,久保宗吉君ヲ介シテ本間正雄君ガ所蔵セラル,同君祖先小泉其明翁自筆ノ懲震秘鑑(注4)ヲ借覧スルヲ得タリ,此画帖ハ文政震災ノ実地ヲ明細ニ描写セルモノニシテ三条地震ノ調査上極メテ有益ナル研究資料ナルヲ認メタルヲ以テ全部ヲ写真ニ複写シ,永ク東京帝国大学地震学教室ニ保存スルコトトナシタリ,爰ニ本間氏并ニ入沢博士久保氏ニ対シ深厚ナル謝意ヲ表ス
   大正九年七月十四日 布哇ヘ出発スル前一日
                   東京帝国大学地震学教室ニテ
                          理学博士 大森房吉

(注4)「懲震秘鑑」の秘は正しくは比の下に必と書く.機種依存文字のため、秘をあてた。小泉其明が残した三条地震に関する資料はこの他に「懲震秘録」,「村々変事書上帳」などがある.
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図5-1  小泉其明・蒼軒の子孫本間正雄氏へ宛てた大森房吉の手紙(写).手紙の原本は新潟市秋葉区の子孫宅に「懲震秘鑑」の原本と共に大切に保管されている.
Figure 5-1 A letter (copy) written by Fusakichi Omori to Mr. Masao Honma, a descendant of Koizumi Kimei and Soken. The original letter is carefully stored in the home of his descendants in Akiba Ward, Niigata City, along with the original copy of the ``Choshin Hikan.''


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  [著者]
 河内一男 
新潟薬科大学非常勤講師(地学担当)
KAWAUCHI Kazuo
Niigata University of Pharmacy and Medical and Applied Life Sciences ,Part-time Lecturer (Earth Science)

記事一覧
・トップページ 日本海東縁のプレート境界
Top page. Plate boundary on the eastern edge of the Japan Sea[19.6.19]

・新潟県の最近の地震活動
Recent seismic activity in Niigata Prefecture[19.6.19]

・海底地滑りや火山が起こす津波
Tsunamis caused by submarine landslides and volcanoes[19.1.1掲載]

・活断層とは ―重要なところは隠れている―
What is an active fault? -Important parts are hidden-[16.8.11]

・日本海東縁のプレート境界
Plate boundary on the eastern edge of the Japan Sea [16.6.19]

・新潟地震・昭和大橋の落橋
Niigata Earthquake/Showa Bridge collapse

・越後の大津波伝説
Echigo's great tsunami legend[15.9.11]

・越後・佐渡の津波被害,越後の大津波伝説
Tsunami damage in Echigo and Sado, legend of the great tsunami in Echigo

・失われた陸地 ―康平図にある島々の意味―
Lost Land: The Meaning of the Islands in the Kohei Map[12.8.1]

・信濃川地震帯と地形・地質
Shinano River seismic zone and topography/geology

・地震鳴動(地鳴り)予知された地震
Earthquake rumbling. Predicted earthquake[15.10.13]

・信州大町地震の断層運動
Fault movement of the Shinshu Omachi earthquake[14.11.23]

・三条地震の一つ前の地震 ―「四万石地震」(西蒲原地震)―
The earthquake before the Sanjo Earthquake - "Shimangoku Earthquake" (Nishikanbara Earthquake) -[12.9.1]

・信濃川地震帯の長期予知 ―最悪のシナリオを…―
Long-term prediction of the Shinano River seimic zone - worst case scenario...[12.8.26]

・小泉其明・蒼軒と三条地震
Kimei Koizumi, Soken and Sanjo Earthquake

・中越・中越沖地震の震源断層
Source fault of the Chuetsu/Chuetsu-Oki Earthquake

・中越沖地震の断層線
Fault line of Chuetsu-oki Earthquake[16.6.30]

・津南町外丸の大崩れ
Massive collapse of Tsunan Town Tomaru [16.5.10]

・液状化について
About liquefaction

・沖積平野下の埋没樹は越後大津波の遺物か
Is the buried tree under the alluvial plain a relic of the Echigo tsunami?[23.9.16]


********* 以下は番外編 *********

・海風と陸風
Sea wind and land wind[19.1.3掲載]

・海陸風と災害
Land and sea winds and disasters[19.1.3掲載]

・海陸風と原発災害の放射線汚染帯
Land and sea winds and radioactive contamination zone from the nuclear power plant disaster[19.1.3掲載]

・どんなときに里雪になるのか
When does it become Satoyuki?[18.1.25掲載]

・これまでの主な論文・最近の学会発表要旨
Main papers and summaries of recent conference presentations

・著者プロフィール、地震地学以外の話題(トップページ)
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