この項は「書きかけ中」です。随時更新します。
新潟県下越地方を襲った火砕流
5400年前の沼沢火山のプリニー式噴火
BC3400年の沼沢火山の火砕流(プリニー式のカルデラ噴火)は新潟県北部一帯を襲っていた
【概要】
これまで火山東方の会津地方のみと考えられていたBC3400年の沼沢カルデラの火砕流は、偏西風に乗って運ばれた広域テフラとはメカニズムが異なっていた。それは、8万年前の阿蘇カルデラ、3万年前の姶良カルデラと同じく、上空数十kmまで上昇した火山礫を含んだ噴煙柱の流下による火砕流は四方八方へ高速で流走した。今回の調査により確認できた火口から北方への流走は、新潟市秋葉区から阿賀野市、新発田市、胎内市、村上市(火口から直線距離90km)まで達していた。(図1 プリニー式カルデラ噴火の想像図)

1. 気象庁の説明
福島県西部,只見川上流の沼沢火山は,全国111ヵ所にある活火山の一つです。気象庁HPの説明は以下の通りです。
気象庁HP(引用開始) : 沼沢は、福島県西部、会津盆地の南西山地にあるデイサイト質の小型のカルデラ火山である。 中央には径2km以上の沼沢湖カルデラがあり、その周囲に惣山、前山の溶岩ドーム、火砕流台地が分布する。 沼沢の形成は約11万年前のプリニー式噴火に始まり、数万年間隔でプリニー式噴火とデイサイト溶岩ドームの形成を繰り返している。各火山について、地質学的な研究によってわかっている過去1万年の火山活動史を記載 した。また、過去1万年間の噴火活動と有史以降の火山活動とに分けて記載した。
過去1万年間の噴火活動: 約5000年前の噴火で、数km3のデイサイト(一部安山岩)マグマを噴出し、沼沢湖カルデラを形成した。この噴火に伴う火砕流は、広い爆風被災域を持つ流動性の大きなもので、いくつかの地形的障害を乗り越えて20km以上流走し、会津盆地内に達している。(以下略、引用終り)
2. 先行研究
これまで、この火山については多くの先人たちの研究報告があります。以下に主なものを紹介します。
稲葉明・木村広・二宮俊策・稲村裕一、1976、津川・野沢間の阿賀野川沿岸の第四系について、新潟県立教育センター研究報告9号.
鈴木毅彦ほか、1995、磐梯火山周辺に分布する広域テフラ、地学雑誌104(4).
沼沢団体研究グループ、1999、沼沢火山の地質と岩石、地球科学53巻.
山元孝広、2003、東北日本沼沢火山の形成史:噴出物層序噴出年代およびマグマ噴出量の再検討.地調研究報告.
増渕佳子・石崎泰男、2011、噴出物の構成物組成と本質物質の全岩および鉱物組成から見た沼沢火山のBC3400カルデラ形成噴火(沼沢湖噴火)のマグマ供給系、地質学雑誌、117巻6号.
卜部厚志・藤本祐介・片岡香子、2011、越後平野の沖積層形成における火山性洪水イベントの影響、地質学雑誌、117巻9号.
3. 私自身も新潟県内にはないと考えていた
気象庁の説明やこれまでの先行研究によれば、せきとめ湖決壊による洪水堆積物以外では、当新潟県地方にはこの火山の火砕流堆積物はない、というように解釈されます。私自身も、昨年(2024年)、新潟薬科大学の地学実験の火山灰分析で、大学敷地内のローム層から「火砕流堆積物」を発見するまで、そう考えていました。この学生実験は、2012年に私がこの大学で非常勤講師として地学を担当するようになってから、毎年4時間ほどかけて行っていました。火山灰からなる赤土から、石英や角閃石などの重鉱物(造岩鉱物)を水洗いや還元剤処理をして取り出すものです。それまでは、処理後の砂を乾燥させた後、1mm、0.5mm、0.25mm径の三つのふるいで、1〜0.5mmと0.5〜0.25mmの二つの粒度のみ取り出して観察していました。鉱物は石英と火山ガラスが多く、角閃石や輝石は少量で、今にして思うと九州起源の広域テフラ(供給源が特定できる火山灰、当地においては阿蘇山や姶良火山)にしては「様子がおかしいな」とは考えていました。
4. 軽石が新潟薬科大学構内の台地から見つかった
それが、昨年(2024年)はふとしたことから、学生がバケツに捨てていた径1mm以上の砂(ちなみに2mm以上は礫といいます)を実体顕微鏡で見てみると、高温石英の斑晶を含む白色の軽石がゴロゴロあるではないですか。わずかですが角閃石らしい黒っぽい斑晶もあります(図2)。粒の大きさが2mmから5mm程度で、わずかながら2mm前後の高温石英の完全自形結晶も確認できます。これはどう考えてもも、5400年前に最大で最後のカルデラ噴火(噴火様式はプリニー式噴火)をしたという沼沢火山の噴出物に違いないと思うに至ったのです。これが、2024年10月26日のことです。
5. 他の台地でも堆積していないか
さて、それで他の場所でも確認できないか、と同年の11月から2025年9月までの間に、阿賀野川以北の各地の台地に見当をつけて調査しました。調査と言っても、通常の地質調査と違って、表土に残存している沼沢火山の火山灰を探すのです。完新世(後氷期)に河川の流路となった場所は除外して、おおむね多くは杉林になっている丘陵の平坦地に狙いをつけました。
6. 新潟県北部にロームはない?
8万年前の阿蘇山、3万年前の姶良火山起源の更新世のローム層は、広域テフラと呼ばれていて、中学校理科、高等学校地学の教科書にも紹介されています。ローム層の地質調査は平野部周辺の台地で、土砂採取が盛んに行われていた高度経済成長時代は比較的容易でした。しかし、現在はそのような露頭(地層が見える崖)はほとんどありません。とくに、新潟県北部地方では地層の露出が少なく、この方面の研究はほとんど行われていません。(わずかに、新潟県立教育センター研究紀要で坂井陽一さん(1983年)、奈良橋隆己さん(1993年)がある程度です。)
さて、華々しく研究されてきた新潟県中南部に対して、新潟県北部地方についてはローム層の研究があまり行われてきませんでした。そのため、新潟県北部にロームはない、という思い込みがあったのだろうと思います。その例の一つに阿賀野市の庵地焼き(茶碗)の原料があります。私の見立てでは、この茶碗の原料の粘土は、表1、図2の採取地3・4のローム層と同じものです。現在でも、庵地集落の宅地の地下にローム層は存在しているものと思われます。それがどういう訳か、地質学者の間では、原料は花崗岩が風化してできた粘土(カオリナイト,例えば岐阜県多治見焼きの原料)ということになっています。ところが多治見焼きと庵地焼きでは色調が全く違います。どう考えても花崗岩起源ではありません。ことほど左様に、権威者たちが一度打ち立てた学説は、なかなか打ち崩せません。新潟県北部の沼沢起源の火山灰層(ローム層、クロボク層)が、これまで発見されなかった背景の一つです。
7. クロボクを追え
ロームは地層がはっきり見える綺麗な露頭でないと採取が難しいのです。実際、これに該当する露頭は阿賀野市赤坂、同六野瀬と新発田市長峰原、同金塚、の4ヵ所のみです。それで、表土のクロボクと呼ばれている腐植黒色土に狙いをつけることにしました。5400年前のイベント(噴火)の証拠を探すだけであれば、一人でも短時間でできそうに思えました。この地域で5000年前程度の火山灰の採取は簡単です。台地や比較的平坦な尾根であれば、表土20cmくらいの「土壌」の採取で事足りるのです。しかも、他の近隣の活火山(鳥海山、磐梯山)の噴出物と紛れることはまずありません。後氷期に形成されたと考えられるクロボク土壌から火砕流堆積物が見つかれば、すなわち沼沢起源と考えて良いのです。
8. 14ヵ所から見つかった(2025年9月現在)
その結果、表1、図2に示す14ヵ所から、火山灰ならびに軽石や火山礫を含む火砕流堆積物が採取できました。今後、随時更新するつもりですが、簡易な撮影画像を図3以下に示します。

図2 パミス、火山灰の採取地。

9. あとは後進の諸兄に
古稀を超えて4年の私が、ここにおいて学術論文をまとめる予定はありません。だから、というわけでもありませんが、定量的な処理は行っていません。多くは定性的な報告になります。
これから続く方々には、是非追試を行なっていただきたく思います。また、定量的な処理さらには火山ガラスの形態や屈折率を求めるなどの研究手法の深化を試みてください。そうすれば、例えば阿賀野市赤坂のローム層に沼沢火山起源のほか、九州からの広域テフラがあることも確認できるかもしれません。

【追記】
・クロボクとロームについて
今から11,600年前に寒冷な気候の氷期が終りました。寒冷な気候の時は極度の乾燥状態になるので、樹木や火山灰が堆積しても表土が土壌化しにくく、私たちが現在見ているようなロームになります。これに対して、後氷期は湿潤で温暖な気候のため、火山灰と一緒に堆積した樹木は腐植し、さらに炭化が進んで黒色土壌すなわちクロボクとなります。したがって、BC3400年の火砕流堆積物は、ロームではなく、クロボクから見つかるのです。
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