庵地焼き(茶碗)の粘土は沼沢火山起源だ
1.火山がもたらす恵み
火山というと、災害のイメージが強く、今まで取り上げてきた火砕流をはじめ、噴石、降灰、火山泥流、岩屑なだれ、など、あげればきりがありません。
しかしながら、これらは、地震と同様に、大地の「いとなみ」の一つです。いうまでもなく、そのおかげで、今、私たちの生活空間が形成されたのです。
私が、現在、授業で使っている、高等学校の「地学基礎」の教科書には、観光資源、温泉、地熱発電、農業などの、「火山の恵み」の例が示されています(図1)。
以下に、沼沢火山に限定して、その恵みの例を紹介しましょう。

図1 地学基礎教科書
2.畑作に適したクロボクの台地
火山灰が形成した土壌には大雑把にみて、二種類あります。それは、色で見ると、とてもわかりやすく、識別できます。一つは、赤い色をした(ただし、赤色といっても、絵の具のような赤ではなく、どちらかというと、茶色に見えるかもしれません)ロームと呼ばれている土壌です。関東平野でよくみられる土壌です。もう一つは、このロームの上に載る、クロボクと呼ばれる、黒色土壌です。
越後平野では、広く、信濃川などの河川が運んできた土砂が堆積していて、低地ではほとんど見ることができません。とくにロームの場合は非常に限られます。
今回、写真で紹介するのは、新潟市秋葉区新津丘陵(図2)と、阿賀野市旧安田町六野瀬赤坂(図3)です。赤坂のロームを「わんがけ」(水洗いして重い鉱物を抽出すること)した顕微鏡写真を、図4に示します。薄い色の長柱状のものが輝石で、黒っぽい長柱状のものは角閃石です。下地の色が白色なので、わかりにくいですが、詳しく観察すると、そろばん玉のような形をした透明の石英や、マイクロパミス、長石、火山ガラスなども確認できます。
これに対して、クロボクの場合は、比較的、多くの場所で観察できます。洪水の影響を受けない、丘陵地帯や、古い河岸段丘の、腐植土の下は、多くの場合、クロボク土壌です。このクロボクを、ロームと同じように「わんがけ」した、顕微鏡写真を図4−2に示します。多くの場合、数mmの軽石や単体の石英粒、さらに角閃石の斑晶を含む火山礫が観察できます。

図2 新潟市秋葉区新津丘陵のローム

図3 阿賀野市六野瀬赤坂のローム

図4 阿賀野市六野瀬赤坂のローム中の重鉱物

図4−2 クロボク中の軽石、石英粒、火山礫
このクロボク土壌は、ロームより、水はけがよく、有機物を多く含んでいるので、畑作に適しています。グーグルマップで、五泉市旧村松町愛宕原(図5)、村上市サベリ門前谷(図6)、村上市旧朝日村中原野(図7)の畑作の様子を紹介します。
ところで、なぜ、火山灰土が、赤土や黒土になるのでしょう。
これは、氷河時代の気候の変化によるものです。氷河時代は、寒くて、10万年くらい続く、氷期と、 暖かくて、短い、多分数千年くらいの、間氷期、が繰り返します。現在は、今から1万1600年前に終わった、最後の氷期の後の、間氷期です。
氷期には東シナ海が陸地となり、対馬海峡がふさがれた影響で、日本列島全体が中国大陸と同じような気候でした。しかも、氷期の寒冷な気候は、乾燥化が進みます。それで、更新世(最後の氷期以前をこのように言います)の沼沢火山の火砕流による火山灰は、磁鉄鉱などが酸化して赤色になるだけで、土壌化が進みません。
これに対して、完新世(コウ氷期、つまり現在の間氷期をこのように言います)の、5400年前の、沼沢火山の火砕流の火山灰は、湿潤な気候のため、有機物が炭化して、黒い土壌を形成しました。
沖積平野の田んぼの土も黒いのですが、これは意味合いが異なるのですね。こちらは、水はけが悪く、畑作には向きません。

図5 五泉市愛宕原

図6 村上市門前谷鋳物師

図6-2 村上市門前谷鋳物師

図7 村上市中原野

図7-2 村上市中原野
3.安田瓦と庵地焼きの粘土のルーツは沼沢火山だ
阿賀野市の庵地焼きの原料の土、粘土は、何が元になっているか、という問題があります。私の見立てでは、この茶碗の原料の粘土は、赤坂のローム層と同じものです。現在でも、庵地集落の宅地の地下にローム層は存在しているものと思われます。それがどういう訳か、地質学者の間では、原料は花崗岩が風化してできた粘土(カオリナイト,例えば岐阜県多治見焼きの原料)ということになっています。ところが多治見焼きとm庵地焼きでは、色調が全く違います。どう考えても花崗岩起源ではありません。
庵地地区で、茶碗作りの粘土を、実際に確認はしていません。これは、五十年ほど前に、この地区の地質に詳しい、稲葉明先生(当時県立教育センター指導主事)の説明を覚えていて、諦めているためです。先生がおっしゃるには、「粘土の出る露頭(地層が見える崖のこと)は、取り尽くして、今はもうありません。宅地の下から、かろうじて掘り出しています。」ということでした。
それが、昨年(2024年)、同じ旧安田町赤坂の、ローム層の露頭(図8)の地主さんから、お話を伺って、疑問が氷解しました。おっしゃるには、
「自分の家は、オヤジさんの時代に、焼き瓦の製造をしていました。いわゆるヤスダガワラです。原料の粘土は、そこの、あなたが採取した赤土です。」
瓦と茶碗の粘土は、もともとは同じでしょう。もちろん、茶碗の場合は、赤土をそのまま使うわけではありません。別ページで示したようなきれいな造岩鉱物以外の粘土鉱物というナノメートルのレベルの物質を取り出した粘土を使います。作業には粘土を含んだ土を水に溶かしてから、火山礫や造岩鉱物(重鉱物)を沈澱させて,うわずみを抽出するなどの、工夫があるものと思います。企業秘密はあるでしょうが、機会があれば、庵地焼きの方も、詳しくお話しをお伺いしたいと思っています。
図9に、旗野窯さんのホームページから、庵地焼きを切り貼りさせていただきます。

図8 赤坂のローム層。「瓦の原料はあなたが採取したそこの土です」 この土は,例のBC3400年の火砕流より前の時代の,更新世の火砕流堆積物である。関東ロームと同じく,氷期で寒冷・乾燥の気候だったために,磁鉄鉱の酸化や長石や火山ガラスなどの粘土化は進んだが,炭化や腐植化が進むことはなかった。色が赤いのはそのためである。土地の方によると,水はけが悪く畑作には苦労する,とのこと。瓦製造はそれを逆手にとったものだった。 w

図9 庵地 旗野窯さんのホームページから。茶碗の粘土は,庵地の宅地にある,赤坂と同層準(同じ時代の地層のこと)の土だろう。火砕流がもたらした土には,重鉱物のほか,数mmに達する軽石粒や火山礫が多く含まれている。ロームを水で溶いて,それらを沈殿させ,上澄の粘土分を抽出する作業は簡単ではなさそうだ。
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