新潟県下越地方を襲った火砕流 その2
5400年前の沼沢火山のプリニー式噴火
BC3400年の沼沢火山の火砕流(プリニー<式のカルデラ噴火)は新潟県北部一帯を襲っていた?
1.はじめに
これまで火山東方の会津地方のみと考えられていたBC3400年の沼沢カルデラの火砕流は、偏西風に乗って運ばれた広域テフラとはメカニズムが異なっていました。それは、8万年前の阿蘇カルデラ、3万年前の姶良カルデラと同様の噴火でした。上空数十kmまで上昇した火山礫を含んだ噴煙柱の流下による火砕流は、四方八方へ高速で流走しました。今回の調査により確認できた、火口から北方への流走は、新潟市秋葉区から阿賀野市、新発田市、胎内市、村上市(火口から直線距離90km)まで達していたことがわかりました。
その2の第4項では、採取地(採取地の地図と特徴について述べます。なお、紹介する14地点全てが、BC3400年前のイベント(プリニー式噴火による破局的な火砕流)というわけではありません。採取地3はBC3400年より前の活動によるもの、採取地4は只見川経由の洪水堆積物です。
|

図0 新潟県北部地方のクロボク中の火砕流堆積物。パミスと高温石英。最北端、村上市黒田東方の台地(杉林のクロボク土壌、腐植層の下20cmから採取。スケールの赤線は1mm。
|
2. サンプルの採取方法について
BC3400のイベントを確認するために、大掛かりな発掘調査は必要ありません。いわゆる沖積層(完新世=後氷期、11600万年前〜現在の間、に水底で形成された地層)ではなく、浸食・運搬・堆積作用のない、台地で形成される陸成層に狙いをつけました。この場合(これも今回の調査でわかったことですが)、多くの場合は、関東平野と同じく、クロボク化しています。完新世において、この地方では沼沢起源以外の火山砕屑物は考えにくいのです。ですから、他所から土砂が運搬されてこない台地や平坦な尾根で、表面の腐葉土を取り除いたクロボク土壌を採取するだけで、所期の目的は達成できます。2024年10月〜2025年8月の調査では採取地3・4以外の12地点でクロボク土壌を確認しました。そして、試料を水洗い・還元処理をして双眼実態顕微鏡で観察し、重鉱物などの構成物を調べました。
3. クロボクの広がり
今回の採取地点は、阿賀野川側左岸沿いから、阿賀野川以北、村上市街北方10kmの、旧朝日村地区までの範囲です。まず、クロボクの全てから火砕流堆積物を見出したことを強調しておきます。採取と分析は比較的簡単ですから、どこまで広がるか、という問題はやがて解決されるでしょう。
中学校や高校の理科教材、そして防災教育の資料としても有効だと思います。あるいは懐疑的な意見をお持ちの方も少なからずいることでしょう。そういうことも含めて、是非とも追試(私と同じような採取と分析)を行なっていただきたく思います。
4. 採取地の詳細と特徴
採取地1 新潟市秋葉区新潟薬科大学近く
新潟薬科大学の正門を右に出て、道なりに登り切り、平坦な道を500mほど進んだ右側の1.5mほどの崖と、さらに50m進んだ杉林地点(図1)。A点は比較的露出状態の良いロームが観察できます。柿畑の一部であるため、成層(地層の積み重なりの状態)は確認できません。B点は杉林の表土10〜20cmのクロボクを採取しました。

図1 新潟薬科大学付近の露頭
採取地2. 五泉市村松公園前の愛宕原(図2)
村松公園前の新潟大学農学部愛宕原実験農場の周辺は、一帯がクロボク土壌です。表土10〜20cmのクロボクを採取しました。クロボクの深さはまだ確認できていません。これは他の採取地でも同様ですが、スコップで穴を掘ればクロボクの深さ程度なら可能かとおもいます。しかし、今のところ、深さ(厚さ)は測定できていません。8

図2 村松公園愛宕原
採取地3. 阿賀野市赤坂(図3-1)
赤坂地内の宅地内(図3-2)にわずかに小さな露頭が確認できます。この露頭の堆積物(ローム層)は、本題の5400年年前のイベントより古い活動によるものです。
所有者の許可をいただいて試料を採取しました。表土にクロボクはありません。クロボクより下位の粘土質の赤土(ローム)です。所有者の方にお聞きすると、クロボクと違って粘土質で水はけが悪く、畑作には向かないということでした。このお宅はかつて、この粘土を使って瓦製造をしていたそうです。図3-2は赤坂の集落内の露頭、図3-3は一部の層準(地層の位置)の土を水洗いして重鉱物(粒径が0.5-0.25mm)を双眼実体顕微鏡で観察したものです。気象庁HPによれば、沼沢火山は、約11万年前から数万年の間隔でプリニー式噴火を繰り返してきているので、そのうちのいずれかかの噴火の降灰や火砕物と考えられます。数mm径の軽石と火山礫をあ含みますから、それは明らかに、偏西風で運ばれた広域テフラではありません。一部に阿蘇山や姶良火山などの広域テフラ(火山灰)を挟んでいる可能性もありますが、多くは沼沢起源でしょう。
採取地4. 阿賀野市六野瀬農業用水路脇(図3-1)
台地と休耕田の間の高さ約2mの崖です。表土にクロボクはありません。全体がマイクロパミスと高温石英を大量にふくんでいます。露頭の下に5〜10cm径の軽石が散乱しています。これはロームではなく、つまり降下火砕物ではなく、阿賀野川が上流の只見川から運搬してきた二次堆積物でしょう。この地点が標高約20mで、採取地3の赤坂が標高約35mです。この近くの阿賀野川の平常時の水面は約15mです。図4-1に両地点付近の河岸段丘の概念図を示します。段丘の成立順序は理科や地理の教科書通りです。赤坂の土台が古く、六野瀬の土台は新しい。ですから、先に数万年前のプリニー噴火による古い火砕物からなる赤坂のローム層が形成され、後にBC3400のカルデラ噴火の最後で最大のプリニー式噴火がもたらした軽石が、川の堰き止め・決壊・流下・氾濫による二次堆積物として六野瀬用水路付近の、赤坂の面より低い(新しい)段丘面を被覆しました。なお、両地点とも火山灰は残っておらず、したがってクロボクは形成されませんでした。地層から脱落した軽石の産状を図4-2に示します。

図4-1 段丘の概念図

図4−2 軽石の産状
以下に採取地5から14までを列挙します。また、まとめて地図等の図版を示します。
採取地5. 新発田市月岡温泉南(図5)
月岡駅側(西側)温泉入口付近のバイパス分岐から100mほど、南側斜面。表土下20cmのクロボク土壌。
採取地6. 新発田市五十公野公園テニス場西側斜面(図6)
杉林の表土下20cmのクロボク土壌を採取。
採取地7. 新発田市五十公野公園升潟(図7)
尾根に上がる遊歩道脇の表土下20cmの赤色土を採取。
採取地8.新発田市本間新田(図8)
長峰原の西方の丘陵。杉林の表土下20cmのクロボク土壌を採取。
採取地9. 新発田市長峰原(図9)
表土下20cmのクロボク土壌を採取。
採取地10 新発田市金塚(図8)
下小中山団地の斜面を登り切った東側のへり。表土下20cmのクロボク土壌とその下20cmの褐色土(ローム)を採取。
採取地11. 胎内市胎内平(図11)
表土下20cmのクロボク土壌を採取。
採取地12. 胎内市平木田(図12)
韋駄天山麓の表土下20cmのクロボク土壌を採取。
採取地13. 村上市山辺里鋳物師(図13)
旧門前谷小学校グランド奥。杉林の表土下20cmのクロボク土壌を採取。
採取地14. 村上市黒田(図14)
黒田集落の東方の台地。杉林の表土下20cmのクロボク土壌を採取。
左から図5、6、7
図8 図9 図10
図11 図12 図13
図14
5.分析試料の一部


|
|
|
|